鍼灸師になるまで

少し長くなりますが、詳しくお話をさせて頂きます。もしご興味ありましたらご覧くださいませ。

一般企業勤務から、身体を壊したのをきっかけに鍼灸師になるまでの経緯、を記します。

29歳の頃、いくつか人生の壁にぶつかり、初めて生きる意味について考えました。そして自信の無い自分を変える方法として考えたのは、目一杯仕事を頑張ることでした。

スタートが30代と、周りのみんなより随分遅いのだから…人より何倍も働き、早く一人前になるんだ!と意気込んで、仕事中心の日々を夢中に過ごしました。殆どプライベートの時間は無く、食事や睡眠も疎かにしていました。でも、気持ちだけは充実していました。そんな様子の私を心配して下さる年上の女性数人から、同じ様な事を言われました。その方々は、私と同じような30代を過ごしていたら、40歳を迎えた頃に入院したとか、倒れたとかのご自身の経験があり、心配して下さいました。それらの、せっかく頂いた助言をどこか他人事としか思えず、私は聞く耳を持たないで過ごしていました。ちょうど40歳になる頃、私も身体を壊しました。

体調不良が始まったのは引越し作業を二軒分行った、最終日の夕方でした。みるみる足の力が抜けていき、あっという間に立っていられなくなりました。その後は、少し立っていられても10分で、すぐに体中がしんどくなる、そんな日々が続きました。普通なら全く寒くない程の室温でさえ、自分だけ寒がっていたり、冷えてしまった日の夜には寝込んでしまう、常に調子が悪い毎日でした。そのような状態なので、いくつもの病院を回りましま。何度も血液検査をしてもらいましたが、数値は何も悪くありません。普通なら悪くない事に喜ぶところですが、その時は何でもいいから病名がついてくれたら、治し方も分かるのに、、、と本気で思っていました。

病院での原因究明をあきらめ、次は本屋さんで健康関連の棚の端から順番にたどり、とにかく治るための手掛かりを探しました。手に取った数冊の本の中に…、リンパドレナージュの本がありました。筆者の、事故後に起こった酷い体調不良がドレナージュで治った、と体験談が書かれていました。その本を購入し、見よう見真似で何度も足をさすってドレナージュしていると、日一日と、立っていられる時間が数分単位で、徐々に長くなっていきました。

次に、リンパってものは何なのか?治る理屈をもっと知りたいと思い、カルチャーセンターで見つけたリンパトリートメント講座を受けました。そうしてカラダの仕組みを理解しながら、トリートメントを会得するうち、ゆっくりなら普通に歩けるようになっていました。体調不良の訳を知りたい一心で次々と講座を受けました。そのうちに講師養成講座に入っていて、その後カルチャーセンターで講師をさせて頂きました。

大勢の方の前で話すのは大の苦手で苦労しましたが、受講される方の中には、身体を壊してしまった方やご家族が具合悪い方も多く、そんな皆さんのお手伝いができる事をとても嬉しく感じていました。健康を失った自分でも、誰かのお役に立てるという事は、何より自分が励まされました。そうしたやりがいのある仕事でしたが、残念ながら数年で続けられなくなりました。生涯健康に関連する仕事を続けたい、と考えていましたので、これを機に何か資格を取ろうと思いました。

学ぶために選んだのが鍼灸専門学校でした。3年後卒業と同時に国家試験を受け鍼灸師になりました。卒業後は、家族の都合で大阪と東京を行き来する生活となり、進む方向を決めかねていた時期もありました。悩ましいその環境は、結果として私にとって有難い経験をさせてくれました。大阪では母校の行岡鍼灸専門学校の先生や先輩の治療院、東京では鍼の研究会のいやしの道協会に入会したご縁で、人としても鍼灸師としても尊敬できる先生方の元で助手する事が叶い、治る鍼灸治療を勉強させて頂きました。そして、鍼灸に対して揺るぎない信頼と確信を得ることが出来ました。

現在、鍼やお灸により自然治癒力も免疫力も上がり、お陰様で健康な日々を送っております。自身の経験から、誰しもが一つしかない身体を大切に、よりよく生きて欲しいと願っております。 そして、鍼灸を必要として下さる方に治療を、以前の私のように鍼灸を全く知らない方には、決して怖くも痛くも熱くもない、鍼やお灸の良さをお伝えしたいと思っております。

現在の活動は、大阪・東京の施術ルームでの鍼灸治療と出張鍼灸治療と、ご自身でも意識して健康な毎日を送っていただけるよう、お灸講座・リンパドレナージュ講座・体操教室なども行っています。

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